私は原子力発電推進派です。
へそ曲がりな性格であるが故に、
右に倣えで原発に軽々に反対している(と私には見える)人に対する嫌悪感が多少なりとも作用していることは否めませんが、
それを差し引いても、原発推進賛成という意見に揺るぎはありません。
原発に反対している人のほとんどは、「原発を無くすこと」によって被るマイナス要素を思考外へ追いやっています。
原発推進と反対、それぞれのプラスとマイナス要素を考慮した上で、
「それでも原発を無くすメリットの方が大きい」と主張しているのであれば、
一意見として尊重しますが、そうではないとすれば議論するに値しません。
現在の生活では、ドアを開けるのにも、建物に入って自宅や職場のあるフロアへ行くのにも、本を読むのにも、
果ては便座の蓋を開けることにまで電力を使用しており、その依存度たるや相当なものです。
原発を無くしたとして、現在の生活に必要な全ての電力を再生可能エネルギーで賄えると考えているのでしょうか?
それとも、再生可能エネルギーで賄える範囲まで電力消費を減らす生活を受け入れる覚悟があるのでしょうか?
おそらく、原発反対派の人の主張はそのどちらでもないと思います。
「電力は好きなだけ使う。でもとにかく原発には反対。」
これでは、なんの議論にもなりません。
何の解決策も提案せず、ただ受益のみを主張するこの姿勢は、
「屠殺は残酷だと批判するが、屠殺されて売られている食肉には舌鼓を打つ」
「動物実験は残酷だと批判するが、その実験を礎とする現代医療の恩恵は受ける」
「性産業に携わる女性のことは蔑むが、そのお世話にはなっている」
といった身勝手極まりない言動と同類で、私が最も忌み嫌うところのものです。
実際には、多くの原発反対派の人は、
「現時点で原発がほとんど稼働していないのにも関わらず、問題なく生活できているじゃないか」
と主張するのではないでしょうか。
つまり「原発が無くなった分は『再生不可能』エネルギーで賄えば良い」という訳ですが、
確かにこれなら現実的で、一番安易に選択できる道です。
現在を生きている私達にとっては、それで何の問題もなく、
電力をじゃんじゃん使った便利な生活を謳歌し尽くして、幸せな人生を全うすることができるでしょう。
ただし、再生不可能エネルギー利用の副産物だと考えられる異常な猛暑や豪雨の犠牲にならなければ、という条件付きではありますが。
どこかの大国の大統領のように、地球の温暖化とその影響を認めないなどと主張するのであれば、
もうそれ以上議論する気が私には無くなってしまいますが、
原発を停止した反動としての将来的な温暖化について、そのマイナス要素としての大きさをどのように見積もるのか。
繰り返しになりますが、自分の人生を最優先に考えるのであれば、温暖化などなんの影響も無いでしょうから、
原発を止めたことによるデメリットなどほとんどないという結論になるでしょう。
(来週の後編へ)