三太夫の「おれのいうことは正しい」

「株式投資」「将棋」「動物」をこよなく愛する頑固なひねくれ者の悠々自適な晴耕雨読生活

私は冷徹


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先日、早朝5時頃に自転車を運転していたところ、

前方から原付バイクがかなりのスピードで向かってきました。

 

その原付バイクは、その危険に見えるスピードのまま右折して走り去ったのですが、

とても良識のある運転者とは思えず、時間帯からしても、飲酒していた可能性すらありそうな印象でした。

 

私は数秒ほど遅れてその交差点に差し掛かり、何の気なしに原付バイクが走っていった左方向に目をやったのですが、

その先は10mほどですぐにT字路になっており、原付バイクは減速しなかったせいでそこを曲がりきれなかったらしく、

見事に転倒していました。

 

運転手はすぐに立ち上がっていましたので、骨折くらいはしていたかもしれませんが、深刻な怪我は負わなかったようです。

偶然近くを歩いていたおじさんが運転者の方へ駆け寄っていたのですが、私はそのまま走り去りました。

 

もし、目撃者が私しかおらず、運転者が怪我をして起き上がれないような状況だったとしても、私は躊躇なく立ち去ります。

そのような運転者を思いやる感情を全く持ち合わせていませんし、

助けの手を差し伸べなかったことでその運転手がどうかなった場合でも、良心の呵責に苛まれるようなことは一切ありません。

 

私は泥酔して前後不覚になっている人間に対しても、同じように冷徹な感情を抱いています。

しかしながら、これまでに2度も、泥酔して倒れている人間に不覚にも声をかけてしまったことがあります。

1回は自宅の玄関を出たところで(要するに倒れていたのはアパートの隣人です)、

もう1回は職場の廊下で(これは近隣の部屋で働いている同僚です)、

いずれも早朝でした。

 

どちらのケースも、最初は死んでいるのかと思ってぎょっとしてしまい、

泥酔なのか、それとも病気なのかを判断する前に思わず声をかけてしまいましたが、

前者であると判明した瞬間、それを激しく後悔しました。

 

そんな連中と関わり合いになっても、碌なことはありません。

今後、もし同じような状況に遭遇したとしたら、まず泥酔かどうかを冷静に判断し、

酒の匂いがするならば、放置して立ち去ることにします。

たとえ凍死しそうな状況であっても。

 

それにしても、「泥酔して自分の行動に責任を持てなくなる状況に陥ること」に対する、

世間の評価が甘すぎるのが不思議でなりません。

ややもすると、武勇伝とか、いい話のネタくらいのプラス材料に捉えている節すら感じられますが、

そのような価値観との接触は、一切御免被りたいです。