福島出身の子供に対するいじめが報道されています。
弱いものをいじめるという行動は、動物の本能に刷り込まれているのだと思います。
先に生まれた雛が、後から生まれた雛を巣から落とすという鳥もいるそうです。
まだ未熟で「馬鹿」な子供がいじめのきっかけにしてしまうのは不可避な流れだと思います。
子供が当初「馬鹿」なのは当たり前で、順次成長して「賢く」なっていくものです。
人間の場合、いじめたいという本能を制御できるだけの理性や知性を持っている筈ですが、
子供のうちは「馬鹿」なので、本能に抗っていじめる行動を律することは容易ではありません。
というより、いじめが発生するのを「防ぐ」のは不可能だと思います。
従って、発生してしまういじめに対して、半ば強権的にでも対処するしかないと考えます。
ICレコーダーでも監視カメラでも利用して、いじめの証拠を抑えた上で、
加担者に対してどのように働きかけるか。
私は、「いじめは良くない」とか「相手の気持ちを考えろ」とか、
理性的で「賢い」人間を相手にするような働きかけではなくて、
もっと本人の直接的な利害に言及する方が効果的なのではないかと考えています。
「軽い気持ちでやっているのはわかるが、万一、相手が思いつめた行動に出てしまった場合には、
お前は一生を棒に振ることになるぞ。」
「馬鹿」な子供は、自分の軽い行動が自分の人生を棒に振らせる可能性があることを微塵も考えていませんが、
その可能性を指摘された時に理解できないほど「馬鹿」ではない子供が大半だと想像します。
一方、それでも理解できないほど「馬鹿」な子供については、学校側が「いじめる」ことによって教育してはどうでしょう。
身をもっていじめられれば、「馬鹿」な子供にも感じるところが出てくるのではないでしょうか。
昨今は体罰に対してかまびすしいですが、例えば動物をしつける際に頭をたたくのを非難する人はいないと思います。
動物には理非を説いても通じませんので、物理的な手段で伝えるしかないからです。
これは「馬鹿」な人間に対しても適応されてしかるべきです。
話しても通じないのであれば、感じられる具体的な痛みでもって教育するしかありません。
それも通じないくらい「馬鹿」なのであれば、もう排除しかないでしょうか。
一方で、度を越したいじめをする子供や、言葉では理非を理解できない子供の場合、
その親は更に「馬鹿」なモンスターである可能性が高いという先入観が私にはあります。
この点に関しては、学校に入学させる際の必要条件として、
いじめに対しては上記のような対処をする旨に承諾する誓約書を提出させれば良いと思います。
自分の子供がいじめる側にまわると思っている親はいないでしょうから、
万一いじめられた場合に子供を守ってくれるこの誓約書にサインしない親はいないのではないでしょうか。