先週から続く後編です。
「環境の長期的で不可逆的な悪化には目を瞑り、現在の利便性しか見ないことにする」
原発に反対する以上、この姿勢を是としていることになります。
日本国の財政ではありませんが、現世代のツケを遥か未来の世代へと無責任に先送りする行為に対して、
どれくらいの罪悪感と愚かしさを感じるかという問題です。
目の前にある自分の生活のみに囚われ、それを最優先して、痛みを伴う我慢は一切しない。
「動物」の本能としてはこれでもいいのでしょうが、
「人権」という尊大でおこがましい権利を(他の生物に対して)振りかざしている地球の支配者「ホモサピエンス」としての行動、
思想としては如何なものでしょうか?
「人権」という強大な権利を主張するのであれば、他の生物の営みにまで気を配って地球を運営する「義務」がある筈。
大局的な判断ができる知性を持ち、全生物のリーダーを標榜するホモサピエンスとして生まれながら、
その責任を果たせていない、果たそうともしていないのだとすれば、それは恥ずべきことだと私は考えます。
原発は大きなリスクと引き換えにエネルギーを生み出しますが、
もちろん、そんなリスクは無ければ無い方がいいに決まっています。
しかし、言わずもがなですが、リスクとリターンは表裏一体。
原発を無くせば、地球そのものと、そこで暮らす大半の生物の繁栄が先細りになり、
原発を稼働すれば、負の副産物が溜まり、事故によって被害を被る可能性が生じる。
ホモサピエンスとして、どちらを選択するのかという問題です。
私が重要だと考えたいのは、電力の恩恵などまるで受けていないホモサピエンス以外の生き物の利害です。