私は大相撲に関して、ファンとは言えませんが、
テレビを付けた時に偶然やっていれば少し観戦したり、結果はなんとなくフォローしています。
小学生、中学生時代は堂々たるファンで、自分で相撲を取ったり、舞の海を応援したりしていました。
という訳で現在は熱いファンではないのですが、
横綱事情(特に最近の)については、ちょっと思うところがあります。
「大相撲の最高位はあくまで『大関』であり、
『横綱』は実力・人格がことさら優れている力士に例外的に与える地位である。」
というような文言を見たか聞いたかしたことがある気がします。
正しい情報かどうかは定かではありませんが、かくあるべしという内容ではないかと思います。
現状を見ると、横綱の権威や品格って何?
という状態で、実力もはっきりと不足していますし、人格に問題がある場合に至っては論外です。
横綱になった後、驕って馬脚を現す場合が多々あるような気もしますが、
昇進を承認した横綱審議委員は、今後のその力士の横綱としての全ての行動に責任を取るべきだと思います。
昇進後に横綱としての成績や行動に問題が出た場合は、昇進を承認した審議委員の資格を剥奪と。
それくらい一蓮托生の覚悟と責任を持って、推薦・承認してもらいたいものです。
そもそも、二場所連続優勝などというゆるい基準が駄目です。
この程度なら、一時的な勢いでも達成できてしまいます。
もちろん、99%の力士にとっては、二場所連続優勝と言えば考えられない快挙でしょう。
しかし横綱は、それを「ゆるい」と言ってしまえるほどの圧倒的な存在であるべきです。
もっと長期間に渡って圧倒的な成績を残し、
その力士が横綱でないのはどう考えてもおかしいと皆が考えるくらいになって初めて昇進するのがいいと思います。
大相撲という世界が、横綱と、大関以下との間に明確な線引きをしようとしているのは、
様々な決まりごとからして明らかですが、
実際には、横綱と大関の位置関係は連続してなだらかに繋がってしまっている気がします。
横綱は、大関の位置から見上げても雲の彼方に見えないくらい上方にあって、
そんな特別な存在は、いない状態というのがむしろ普通である、と考えるべきです。
横綱不在なのが当たり前。
実力、人格ともに稀代の存在が現れれば、例外的に横綱に昇進するのです。
あまりにも「横綱」の名前と地位が堕落しすぎていて、興行としての盛り上がりを著しく損なっていると思います。