三太夫の「おれのいうことは正しい」

「株式投資」「将棋」「野球」「動物」をこよなく愛する頑固なひねくれものの世迷言

私の「横綱論」


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私は別に大相撲ファンではないのですが、昨今大暴落している「横綱」の格について、私の持論です。

 

大相撲の番付は、下位から上位へと連続的に続いていますが、

幕下と十両、そして大関横綱の間には、明確で決定的な線引きがされている筈です。

 

前者については、給料が貰える関取であるか否かという境界ですから、誰しもが認識しているところでしょう。

髷の有無、まわしの色など、目に見えるところでも明確な区別がありますし。

ところが、大関横綱とを隔てる境界に関しては、驚くほどに軽視されています。

軽視というよりむしろ、横綱という地位が、

小結から関脇、関脇から大関大関から横綱と、ただ一定の勾配で連綿と続く階級の一つに過ぎなくなっています。

 

しかし実際には、幕下と十両の差とは比較すべくもないくらい、

大関横綱との差は絶対的、圧倒的なものであるべきだと私は思いますし、本来はそうであったのではないでしょうか。

 

「一人横綱」とか、「横綱不在」とか、

あたかも横綱が複数人いる状態が自然であるような論調が普通になっていますが、

心技体全てが圧倒的に優れている存在など、そうそう現れるものではありません。

現在の横綱株は、RIZAPグループ (2928)の株価並みに暴落して久しい状態です。

 

歴代の横綱の中でも、最大クラスの醜態を長いこと晒しておられるK関が横綱に昇進した際、

私の印象では「その次の場所が綱取りになることにすら違和感」があったのですが、

なんと、実際には次場所を待つことなく横綱昇進という、(私に言わせれば)狂気じみた茶番的展開となりました。

 

santekigon.hatenablog.com

 

私が考える「横綱論」はこんな感じです。

 

横綱審議委員会は、極めて厳密な基準に基づいて、各委員の明確な責任の上で慎重に横綱昇進を推薦します。

推薦された大関も、阿呆みたいにホイホイ受諾することはなく、

10人に9人は「自分はまだそんな器ではありません」と辞退します。

 

何故なら、実を伴わぬままに横綱になってしまえば、あっというまに相撲人生が終わってしまうからです。

大関以下の力士2人以上に抜かれる成績に甘んじる場所があれば、酌量する事情がない限り、即引退。

金星を配給してしまったら、その相手への金星手当ては、永劫自らが支出。

これだけのリスクを受け入れる覚悟と自信がないかぎり、綱を締める資格は無く、

それだからこそ、「横綱」として土俵に上がることの価値が極限まで高められるのです。

 

感情的な理想論は抜きにして、単に興行的視点から考えた場合でも、

横綱の格がここまで毀損してしまった現状を大いに憂うべきだと思います。