三太夫の「おれのいうことは正しい」

「株式投資」「将棋」「動物」をこよなく愛する頑固なひねくれ者の悠々自適な晴耕雨読生活

「偏差値70」という、いかにも「偏差値の低そうな」表現


スポンサードリンク

大阪桐蔭の優勝投手となった根尾投手について、「偏差値70で文武両道」という記事がありました。

成績の良さを強調する際に「偏差値いくつ」という表現がよく使用されますが、非常に違和感があります。

偏差値の内容と意味を理解して使っているのか、甚だ疑問です。

 

偏差値の数字の大小は、同じ人間が同じ試験を受けたとしても、平均点の水準によって変わります。

例えば、仮に平凡な人が50点取れる試験があったとして、

受験したうちの9割が「お馬鹿さん」で、0点だった場合、平均点は10点くらいになるでしょう。

その時、平凡な受験者が実力通りに「平凡な」50点をとった場合、偏差値は相当高くなります。

逆に、同じ試験を優秀な母集団の中で受験して、平均点が90点になったとすれば、

同じ50点の人の偏差値は暴落します。

偏差値は絶対的なものではなく、母集団のレベルや、試験問題の難易度によって大幅に増減する尺度なのです。

 

非常によく目にするのが、「偏差値いくつの学校」と、個人ではなく学校を偏差値で形容するケースです。

これは一体どのように算定したのか、理解に苦しみます。

 

そもそも、試験の点数を競っている学生は、偏差値なんて全く気にしません。

私の場合は、チェックするのは「自分より上に何人いるか」。

つまり順位のみでした。

試験ごとにころころ水準が変わる偏差値など、なんの目標にも尺度にもなりはしません。

 

「偏差値70」などという形容を見ると、いかにも書き手に教養が無さそうな印象を受けますし、

その表現をすんなり受け入れてしまう人も、やはり教養が足りないと思われていたしかたないと思います。

 

尚、根尾投手については、「偏差値70」などとメディアから「偏差値の低そうな」形容をされなくても、

教養があって、頭の回転も早そうな印象を受けました。

野球一本やりの球児にはあまり共感はできませんが、正真正銘の文武両道は立派のひとことです。